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卒業生の声(K.S.)

2021年度卒業
同志社国際高等学校

私は八年生(中学二年生)の二学期に現地校からGJSに転入生として入学し、高校入学までの約一年半をGJSで過ごしました。なぜ私がGJSに転校したのか、また、GJSでの思い出などを紹介したいと思います。
2020年、まだ私が現地校に通っていた頃新型コロナウイルス拡大の影響によりオンライン授業の形がとられていました。その中で夏休みに入ったことがきっかけで,自分の進路について考えるようになりました。私は小学六年生の頃、父の仕事の理由で渡米したため、日本の中学校の教育を受けたことがありませんでした。私は日本の高校に対して、憧れのようなものがあり日本の高校を受験したいと考えていました。勉強の飲み込みが遅い自分が一年後に日本の勉強を開始し、自分が望むような学校に行けるか不安でした。そんな中、アメリカにいながらも学校として日本の中学校の勉強を教えているGJSに早めに転校して日本の勉強をすることが自分の進路に一番いいのではないかと考え、GJSに転校したいと両親に話し八年生の二学期からGJSに転入しました。
私が転入した時には同学年の生徒が約10人と、現地校から転入してきたばかりの自分にとっては少人数で、そして授業が基本日本語で行われる等、戸惑いと懐かしさを感じながらGJSでの一年半が始まりました。始めは新型コロナウイルスの影響でオンライン授業と登校日のハイブリット体制がとられており、クラスが仲良くなるまでに少し時間がかかりましたが、一度打ち解けると少人数ということもありとても仲良くなることができました。さらに、少人数ということは、色々な役割を担当するチャンスが他の学校より何倍も多いというメリットもありました。現に私が在学していた頃は、学級委員長、コミュニティサービス委員長等様々なことを担当させてもらうことができ、特に委員長をした経験は人前で発表する力やリーダーシップを培うことができたため、高校に入学してからも活かせているので本当にいい経験だったと日々感じています。
私がGJSで過ごした一年半の中で一番心に残っている思い出は、中等部全学年で頑張って練習したスクールフェスティバルの『炎』の合奏です。私自信も指揮者未経験の中、中等部の仲間達が全員で協力しあって完成させた合奏は今でも心に残っています。本番に私が大事な場面でミスをしてしまったのですが、みんなが支えてくれとてもいい合奏を会場の人に届けることができました。終わった後にみんなの前で感想を話すときには達成感からなのか涙を流してしまいました。私がGJSに転入していなければ指揮者をすることにはきっとならなかっただろうし、たった一年半の中で本当に色々な経験をすることもなかっただろうと思います。
私が初めにGJSへ転入した目的であった高校受験も、前校長先生をはじめ様々な先生方、私の場合は面接が英語で行われる可能性もあったためネイティブの英語の先生にも面接練習やサポートをしてもらい、幸運なことに第一志望の学校に今通うことができています。
今、入学を考えている皆さんにメッセージです。このアメリカで日本の勉強をしっかりと頑張って日本の学校を受験したい、少人数の中で委員会、発表などを一生懸命頑張りたいという人は、ぜひGJSに入学するべきだと思います。GJSは私がここに書いたことの何倍も多くの魅力があり、私は八年生の二学期に転校しましたが、色々なことに挑戦する機会があったおかげで今の自分があると思っています。